飲み干した器は今思えば龍門司の器だったと思い返す。全てがその土地の資源に囲まれて僕だけが異質だった。もう僕はいなくていいんだと思い、尚力が抜けた。鮎の香りに包まれた僕たちに、「これから川に行くのでよかったらご一緒にどうですか。」と誘ってくださった。その時の店主の透き通るような笑顔に見とれていた。もう僕は知らない土地に溶けていた。手の平の中で眺められた釉薬の模様はその時の溶け出した僕なのかもしれない。
頂いてから二週間ほど毎日のように使っている。器は日に日に手になじんでくる。朝はコーヒーに、昼は茶に、夜は焼酎を頂くことで一日を終えることにしている。そんな終日の儀式のために、青森で、龍門司と同じ登り窯を使い、須恵器の手法を再現して焼かれたという一合の片口を手に入れた。二つの焼き物は、当たり前なのかも知れないがまるで違うものであると静かに主張して同じ盆に乗っている。夜の儀式が気に入ったのか、手の平の中で、釉薬の景色は鈍い銀色から朝焼けのような金色に少しずつ変化し始めている。毎日違う表情を浮かべるひとつの器の周りで時は過ぎていく。
汗ばんだ僕たちの目の前に、硝子に盛られた氷苺が運ばれてきた。大きな男の真ん中に置かれた桃色の氷に僕達は少し照れた。小さなスプーンを口に運ぶと舌が瞬時に冷えて、ひと口ずつ汗が引いていく。程よい甘みが満腹感を少しふくらませて、興奮を静かに落ち着かせる。一つ一つの出会いがこの鹿児島のひと夏をより眩しいものにする。匙をすすめると小さな苺のジャムが乗っているのに気がつく。その苺は店の裏山で取れた木苺なのだという。裏山のひっそりとした葉陰に、はちきれそうな真赤な木苺が息を潜めている。透明なせせらぎの川の流れに逆らい、一匹の鮎がその岩陰を守っている。僕が都市に戻った今も遠くでじっと暗闇に潜んでいる。
釉薬の景色/01~04