2010年6月30日水曜日

釉薬の景色/03

東京を出て、三週間程経っただろうか。人気のない山中で一人過ごすことが多かった。街中から遠く離れるほど、街灯の数が少なくなり、一日に出会う人の数も減り、最終的に全く会話を交わすこともなくなった。夜は一人で真暗闇の山中にいた。誰もいない、知らない土地の夜に身を置くことが恐怖について思索を始める。目の前の暗闇から恐ろしい何かが飛び出し、襲われるのではないかと想像してしまう。人類は恐怖や不安をもって危険から身を守ってきたのだと自らに言い聞かせながら、強張った力を徐々に抜いていく。携帯用ストーブの火が眩しい。温かい飲み物を一杯飲むと気持ちも落ち着いた。眩しさに慣れた目が再び暗闇に馴染むと肉体は周囲に溶けていく。暗闇へ向けた視線を逸らさずにいると、徐々に目が慣れてくる。何者かに見えていたのは、ただの風に揺れる茂みで、人の泣き声に聞こえていたのは水のせせらぎだと、把握すると同時に恐怖を自分の内に発見する。恐怖は周囲のもの全てを自分に危害を加える敵にする。恐怖心に飲み込まれるともう何も信じることが出来ない。ただ震えて身構える。手に負えないほどの恐怖に包まれたとき、もう一度その土地を信じてみようと思う。此処に来た自分を信じてみようと思う。小さなテントに潜り込むと日中の日差しの熱も既に冷めていた。シュラフに包まれて目を閉じると耳に虫の音が心地良い。古来から夜になると人間は虫の音と共に床に就いたのだと想いを馳せ、重力に身を任せる。漆黒の夢の入り口で僕は鴉になって夜道を飛んでいた。恐怖と安堵と夢と現実が混ざり合って融け合い、夜の帳は翼を広げてその底へと降りていく。


太陽の光と熱に炙られて目が覚める。鳥の歌声は朝が来たのだと知らせる。昨夜あれほど怯え暗闇に包まれていた一夜のベースも太陽がその場所を明らかにすると気が抜けるほど朗らかな場所である。目覚めを促すようにテントをたたむ。通りかかった土地の年配者がおはようと微笑み、ゆっくりと脇の坂道を登っていく。湯を沸かし、コーヒーを煎れる。腰掛けた側には小花が健気に咲いている。テントに押しつぶされた青草は日光によって再生し始める。花粉を身に纏ったミツバチが耳の傍で羽音を鳴らし靴にとまった。見上げると晴天に恵まれている。朝の一服の束の間、昨日はどんな写真が撮影されたのだろうかと、脳内の記憶を一枚ずつ脳裏に投影していく。深い暗闇の中の仄かな光の記憶。路上の孤独で些細な光に日毎に目が慣れていく。光に対する感覚が研ぎ澄まされていくのを確かめながら、そのひとつひとつを手がかりに移動を続けた。山中の光と影は繊細で孤高だ。訪問者にとって見知らぬ土地は闇である。小さな街灯が道標となり、漆黒の闇を照らしている。振り返った旅路は、閉ざされた記憶の光が一筋マークされてこの場所と自分とをつなぎ留めている。無数の光に包まれた都市での日常生活の中で交わしたはずの会話の断片を思い返すと、暗闇に両親や家族の顔が浮かんだ。

今日も何気なく朝がやってきた。日が登り切る前に太陽に追い越されないように起き上がる。街はまだとても静かだ。窓からは風が吹いていて、遠くの方で何かの音が聞こえる。また今日が始まろうとしている。部屋はまだ暗く、昨日がまだ床で眠っている。コーヒーを煎れる一刻一刻、外の光が白く変化している。日に日に手に馴染むようになってきた器に入れた冷たいコーヒーが釉薬の景色に汗をにじませている。今朝はその釉薬が銀色に鈍く輝いている。その鈍い光に、旅の山中の暗闇を重ねた。

卓を囲んだ僕たちの前に一杯、一杯と注文した蕎麦が運ばれてきた。空腹と温泉と日光で乾いた身体に温かいかけつゆが全身に染み渡るようだ。一口頂いて顔を見上げると、川原氏と目が合った。「これは鮎の出汁だ。」という。味わったことのない不思議で新鮮な味覚の経験に五感が全身で喜んだ。ゆっくりと食べ終えると汗がにじんだ。何気なく再び品書きに興味を示して見渡すと「氷いちご」とあったのでそれぞれ注文した。鮎の出汁とは珍しいと会話を始めたところで川原氏の先輩であるという店主が囲んだ卓へと出てきてくれた。店主によると、出汁は鮎と椎茸からとったものであり、この辺りで昔から採れるものを使っているのだという。伝統だというと大袈裟だが、この辺りにはいりこも昆布もなかったので、自然と昔からそうしてきたというのだ。その方法がこの辺りでは馴染んだ方法で普通なのだと言う。確かに店でも特にそれを売りにしている様子はない。鮎は週に二度程、この山中で店主が自ら網で捕ってくるのだそうだ。なんと日本の奥深い、豊かな事、一杯の蕎麦に旅もひとしおだと感じ入った。

釉薬の景色/01
釉薬の景色/02