2013年5月15日水曜日
































At that time, the people was dancing in Paris

その時、パリではダンスを踊っていた

Qusamura in Hiroshima, 2013.05.10.






2013年1月29日火曜日

2013.01.03.19:01.

年末年始の東京。何処へも行かずに、ここにひとり過ごしている。街は冬木のように静止し、普段の喧騒とは別世界のように、静かに澄んでいる。こうして迎える東京での新春はまるで人のいない海岸にいて、潮の干満を眺めているかのようだ。年越しの時は、ただ過ぎていく。打ち寄せる波と去りゆく波はひとつのものである。遥か遠い沖とは、ここのことでもある。

際限の無ではなく、無という際限に包まれている。


『風と波、散文の砂粒』

都市のビル群の谷間を歩くとき、見上げた建築物を前にして私の存在は微かだ。足元から頭上高く積み上げられた構造物は、きっと山から生まれたのだろう。私達は砂に囲まれて生きている。そうして知る私の小ささは心地の良いものだ。この都市の景観の異形に、削られた山々の稜線を重ねるとき、こうして都市に生きることを鑑みる。

ガラスの中で、時が止まるとき、そこにはひとつの山が顕れる。都市とはまるで砂時計の中に降り積もった砂山のようである。逆さにすると、砂山は跡形もなく吸い込まれていく。砂に埋れてしまわないようにと、私達は絶えず砂を掻いている。

私達は砂を集めて、砂山を作る。砂粒は全宇宙に反骨し始める。か弱き掌で硬く砂山の斜面を叩く。砂山が私達より世界を眺めるために。子たちが寂しくならないように。遠いところを忘れないように。子たちがここをより愛することのできるようにと。

耳を澄ますと、音粒が輝いている。ひとつひとつの音粒を運ぶ波。その波のはじまりは何処かと旅をする。たぶんとても遠いところ。私達の生まれたところより、遥かに遠いところ。父、母の誕生以前の私の生のそれよりもずっと遠いところ。

砂をすくうとき、掌のあいだから砂はこぼれ落ちていく。しかと握った砂を眺めては、崩れた世界の源流を探す。世界の全てを知ることなく、散りばめられた世界の欠片を集めている。世界とはなんだろうか。言葉にしようと試みるほど、世界はその言葉の影へと消えていく。

私達は砂の上に絵を描く。絵は風に吹かれて、刹那に模様を変化させる。山々は一刻として同じ山々でないことをその模様は知らせている。山は、滝となり、川となり、海を埋めている。砂はあらゆる定着を拒んでいる。

そうして私達はいつか砂へと還っていく。昨日と今日。存在と非在。形あるものと形ないもの。二つの間を生はぶらりぶらりと遊揺している。


年末年始の東京は、まるで誰も居ないような世界だった。干支が入れ替わるとき、私はただここにいて、確かに生きた旧年が通り過ぎていくのを感じていたかった。砂のように音もなく。


2013年1月3日、19:01.  母の命日に

劉 敏史



2013年1月16日水曜日

林檎の香り

風邪を引いたのか、一歳半の子が熱を出す。小さな子は平熱が高いので発熱すると高熱になる。悪い夢を見たのか、起きると大きな声で泣き、なかなか落ち着くことがない。落ち着かせようと望めば望むほど、意に反して泣声が大きくなる。

そこでまず電解水を与える。好きなものを与えて少し落ち着かせる。抱いて安心させる。部屋を温めておき、湿った服を優しく脱がす。寒がらないように毛布で裸を包む。泣声が大きくならないように耳を澄ませながら。ぬるま湯で固く絞ったタオルで身体を拭う。着替えと身体を拭いた放熱で熱も少しは下がっている。新しい服に着替えさせると気持ちも良いのか笑みもこぼれる。そこで検温して様子を見る。気を付けるのは脱水と熱性痙攣。果物やジュースを与える。子供は高熱があっても遊びたい。少し遊ぶのに付き合うと満足して眠りへ向かう。首に柔らかな布を巻く。眠りに落ちやすいように濡れたタオルを額に乗せてやる。風邪を引いたとき、林檎を摺る。台所の音と微かな香り。幼い頃に熱を出したときのことを覚えている。なによりも冷静に子の側にいる。それらのことに子は安心する。こうして私達は親になっていく。これらは熱を出した幼い僕に祖母がしてくれたこと。熱を出した子の隣で見た今年の初夢は祖母に抱かれる夢だった。



2012年12月27日木曜日

12月の夜

小池博史さんと話す。深いので、眠れずに少し考えている。明日のこと、明日のこと。



2012年12月21日金曜日

母の残したこと

クリスマスツリーの思い出がひとつ。たった一度だけ母と飾ったこと。キラキラと光ったこととてもよく覚えている。大きなものだったと記憶していたが、小さなものだったことだろう。プラスティック製の白いツリーの、指先にちくちくとした感触。綿を千切って雪にした。嬉しかったこと、今も僕の中にある。今年、ふたつめのクリスマスツリー。僕の背の大きさと同じ高さ。これから子といくつのツリーを飾ることができるだろう。