2010年6月25日金曜日

釉薬の景色

今朝、FIFAワールドカップにて日本代表が3-1とデンマークに快勝。深夜と早朝の狭間AM3:30のキックオフに合わせて昨夜は早めに就寝した。試合も終わり、目が覚めるのを通り越して興奮覚めやらぬまま、机に向かった。


仕事机の後ろに大きめの作業机があり、2010年6月25日現在、器が48時間程置いてある。先日訪れた鹿児島県加治木町にある龍門司窯の川原竜平氏より、突然仕事場に器達が届いたのだ。その器を机に並べて眺めている。その器の美しい事。川原氏からの手紙も無く、突然届いた器の心のこもっている事。この喜びを上手く言葉にできないでいる。そうして二日間は合間合間に器を手に取ってはその重さを感じ、眺め入っている。器達は龍門司の昇り釜の灼熱を経験し、くぐり抜け、今旅をして僕の仕事場を訪ねてきた。そして今ここに座り、僕に語りかける。

昨年の夏の終わり、東京では秋を迎えようとしていた頃に九州を旅した。ある時、十代の最後から二十代のほとんどの時間を費やした遠い土地に旅する事を止めた。ひと所に住み、自分の周りにある小さな変化の中に世界を感じ取る事が必要だと思い、東京に居を構えて新生活を始めた。横の移動を止めて、ひと所で自分自身へ潜る「縦の旅」を始めたのだ。縦へと潜る旅は僕にとって今迄のどんな過酷な旅よりも辛く厳しいものになった。この新しい旅を始めて四年間が過ぎようとしている。この旅の記録として、仮に「青い魂・三部作」として、鋭意を抱きながら制作を続けているが未完成である。

僕は今あまり幸せではない。ひと所にいるが故に露になり,逃げる事の出来ない日常の些細な事が億劫だ。思うように制作が進まない事も手伝って、日常生活が疎ましい。と同時にこれまで気がつかなかった小さな喜びや感謝に包まれている事も発見し、これまでの「僕の世界」は短い間にすっかりと姿を変えてしまった。また嬉しいことがやってくるだろうと回り道をしながら、日々、青い底に沈んでいる。

肉体を横に移動すると風景はその移動速度に合わせ、刻々と姿を変えてゆく。しかしやはりひと所に身を埋めても世界は姿を変え続けるのだ。その景色の移ろいは移動速度ではなく、自分自身そのものと等しい。僕はこの日常を「縦の旅」と呼ぶ事にした。しかし自分自身はあまりに浅く、、僕の「青い底」は想像した以上に頼りない。その底に、毎日潜り続ける事に耐えきれない日々が続いた。昨年の夏の終わりに、おそらくそんな日々を過ごす事から逃げたのだ。自分自身の小ささから眼を背けようと企み、撮影機材を車に積んで、日本の端へと逃避したのだと思う。今朝、龍門司の器にコーヒーを煎れ、奥深く輝いた釉薬の言葉にならない景色に、追憶のペンが乱筆を始めた。

釉薬の景色/02