2010年5月23日日曜日

K*MoPAという森

昨日は清里フォトアートミュージアム(K*MoPA)で開催されている「2009年度ヤングポートフォリオ展」を訪れた。僕が幸運にも購入作家のOBであるということで、K*MoPAの小川氏よりお誘いを頂いて、初めて訪れる機会を得た。同じくK*MoPAのOBであり、友人でもある中藤毅彦氏と都内で待ち合わせ、小さな旅を始めた。

K*MoPAへは都内から車で約三時間、気がつけば周りの景色に高いビルなども無い。東京の磁力のようなものが徐々に薄れていくのを背中に感じながら、話はつきないまま、気がつくと森の中へと到着していた。静かな森の中で、レセプションに訪れた人々の活気に際立ち、栗生明氏設計の建築物は座っている。エントランスに入ると天井からは光が柔らかく射している。ガラス窓からは木々が溢れて、森の奥を覗かせる。森をくぐり、到着すると、門を跨いで一旦は途絶えた森が室内に入ったとたんに再び甦る。室内にいるのに森の中にいるような建築体験だった。次に建築は建築物から解放する。館長の細江英公氏が建築の中央で来客の訪問を迎えておられた。

細江英公氏と初めてお会いした喜びと興奮も冷めないまま、早速展示スペースに向かった。展示スペースには世界中から集まった様々な「新しい写真」があり、目にしながら思索を大いに愉しんだ。全体を通して感覚的に先ず、アジアやアフリカのドキュメンタリー(この表現が的確かどうかはわからないが)がとても多いのだなあと感じた。そのことを上手く言葉にはできないが社会背景と関連付けて考えさせられた。貧困や飢餓、戦争の狂気にフォーカスした映像には生理的に眼を背けたくなるが、気持ちを抑え、留まって凝視しようと努めた。そこには展示を観察しに訪れた僕以上の作家の凝視があった。その凝視は現地の生活者の現状は何かと探るその地を訪れた作家の凝視なのではないか。これまで貧困や飢餓、戦争の狂気やその他ドキュメンタリー写真にもやはり疑問や問いかけといった凝視があった。しかし、今回の展示では現代を再認識する新たな発見があった。

それは現地の生活者である現地の作家が制作した写真の存在である。これまで海外のジャーナリストが現地に訪れ、撮影取材し、それぞれの自国に持ち帰るというドキュメンタリー写真が、現地の生活者がカメラを手にし、現地の生活者が現地を撮影取材していると言う事実の再確認だ。その現状はこれ迄ももちろんあった。訪問者と当事者の写真を並べてみると一見、貧困や飢餓、病や戦争の狂気を映像化した同じ言語で語られる写真のようだがその背景にある行為は全く異なったものである。「2009年度ヤングポートフォリオ展」はK*MoPAのこれ迄の大きな功績をもうひとつ超えて、双方の写真が同じ展示スペースに並んでいることで新たな視線や思索を発見することを問う。これ迄、刷り込まれていたドキュメンタリー写真と言うものは「こういうものだ」という認識を一新せざるを得ないのだ。自分の表現が上手くいい当てはまるかどうか不安であるが、現地で生活する作家の当事者の眼差しは、海外から訪問した作家と「同じ場」を伝えているのだが、当事者の写真には同情を跳ね飛ばすような確かな「生」があるのだ。一方、横に並べられた訪問者のドキュメンタリー写真が、ならば「生」ではないネガティブなものをフォーカスしているかというとそうではない。ここに大きな収穫があった。当事者の写真が「同じ場」に展示されている事によって、訪問した作家が、どのようにしても背負う事の出来ない現地にある責任から解放されるのではないかと思うのだ。そしてドキュメンタリー写真とは今も昔もこういうものであったのではないかと再考した。訪問者の写真には、背負う事の出来ない責任ではなく、訪問した作家の眼差しや「生」があぶりだされる。訪問者は何故その写真を制作したのかといった作家の背景がをどこまでも追求させられる。「お前は何者か?」と。そのことによって「同じ場」を伝えた写真がそれぞれの「生」を得て、貧富や格差を破壊し、「同じ写真」として均衡を計るのである。

同時に今回の展示では、写真や国の偏りも会場で指摘し、議論される事もあった。海外の出版物に応募の広告を掲載するデザイナーや編集する方々ともお話する機会があったが、ある表現や募集される国にも偏りを発見した時点で、軌道修正するという探求があった。K*MoPAが写真をコレクトする写真表現の幅は今後も広がりを見せている。今後も末席よりその広がりを望みたい。

今回の訪問を通して、様々な巡り会いに恵まれた。その感動の全てを僕の文章で伝える事は難しい。K*MoPAの深い森は僕の未熟な眼差しより遥かに大きい。またK*MoPAの森を旅したい。