手のひらには少し大きいのだが、だからこそ落ち着いていて緊張感がある。手の隙間から釉薬の模様が垣間見え、美しい窓景のようだ。朝靄の中の雪山のような、山頂の残雪のような、また波打ち際に薄く海水を張った砂浜のような、いつか見た、どこにも無いような景色を手のひらの中に探す。それらの景色を手にしながら一服するこの上ない喜び。小さな器が旅へと誘う。
鹿児島は夏の終わりが最後の力を振り絞るような暑さだった。出会う人の額には汗の粒が光っていた。旅の途中に、ある友人と鹿児島で落ち合うことになった。落ち合う前日に連絡を入れると、加治木町におり、大学の同級生である龍門司窯にお世話になっているのだと言う。ところどころ撮影のために足を止めながら少しずつ加治木町へ向かった。加治木町に到着したのは深夜だったので、少し山の方へ入り適当なところで仮眠した。翌早朝、友人と落ち合うことができた。友人とは会ってすぐに休憩の小旅行と題して釣りに出かけた。まず観光を兼ねて桜島を目指した。灰の降る不思議な魅力の土地だった。今年は噴火が多いのだ、と立ち寄った土産物屋で土地の人が教えてくれた。桜島を見上げると煙を上げており、車には灰が積もり出していた。島を一周しながら釣り場を訪ねた。墨で黒く汚れた場所が良い釣り場だと聞いていた。桜島は土地ではミズイカと呼ばれるアオリイカの有名な釣り場なのだという。日が暮れるまで釣りと火山灰を楽しんだ。翌朝、垂水港迄南下して、釣りに精を出した。丁度二人分の空腹を満たすような釣果をあげ、夕飯にはそれを料理した。もう一泊、もう一泊とねだる友人に、もう釣りはいいじゃないかと嗜めても聞く様子がないので、諦めて釣り場付近に三泊ほどすることになった。お陰である程度のイカ釣りの技術と釣果を上げることができた。
加治木町に戻ると翌日は窯焚きの日だという。友人の荷をおろした後、龍門司窯に立ち寄った。この日、忙しく窯入れの準備をする川原氏と出会った。川原氏は準備で参加できないのだがと、知人の店へ連れてくれて、その夜は錦江湾で捕れた海鮮物をご馳走になった。旅の疲れを癒すには勿体無いほどの料理と土地の焼酎に程良く酩酊した。帰りになって店主が出てきてくれて、窯まで送ってくれると言う。窯に到着して一段落した川原氏を交えて焼酎を酌み交わした。それぞれが深く酔う前に、お開きにして翌日再会することになった。翌朝、川原氏が夕刻から窯焚きで忙しくなるのでと、それまでの半日、付近を案内してくれると言う。まず霧島に足を伸ばした。和気清麻呂が疲れを癒したと言う温泉へと向かった。湯は山道の傍らにぽつねんとあり、しばらくは誰も整備や入浴利用していないのか、枯れ葉とヘドロで覆われていた。そのあまりのワイルドさに友人が辞めようと言って即座に踵を返したので、同行者全員、自然とそうすることになった。付近に温泉がいくつもある恵まれた土地だし、地元に精通する川原氏が同行していたので、適当な温泉はすぐに見つかった。塩分を含んだ、いつかタール砂漠の西端で飲んだ湧き水のような塩味のする赤い湯だった。帰りの道中で古書店を発見し、物色した頃、丁度正午近かった。僕は龍門司窯の歴史が書かれた本を立ち読みし、川原氏は里見弴の全集の一冊を手にしていたと記憶する。
鹿児島では美味いものにも困らないが、知人が営む評判の蕎麦屋を紹介してくれると言うので、帰路の途中、国道をそれ山道に入りその店に向かった。地元の、付近の人々が利用するような、どこの町内にも一軒あるような、言葉は悪いが、いい意味で気取った様子の無い蕎麦屋らしい佇まいの店だった。座敷にあげてもらうと心底落ち着いた。蕎麦が評判なんだと聞いていたので、温かいかけつゆの蕎麦を注文し、同行した三人は新聞二誌を回し読みしながら、それぞれ言葉を交わしながら、注文を待った。その時、対座した川原氏の顔には窯入れの火によるであろう小さな火傷が無数にあることに気がついた。太陽の光と温泉のマグマと窯入れの火と店内の涼しさが、それぞれの旅路で交差していた。
釉薬の景色/01
釉薬の景色/03