2012年1月8日日曜日

写真と絵、墨と空白

私は京都生まれで、幼少と高校生の頃、東寺の近くに育ちました。毎月21日の弘法市は町内の方々が道売りされていて、うどんやあたりめなどのおやつを与えてもらえる子たちの恰好の遊び場でした。何度も観たガマの油売りや、蛇とマングースの闘いの輪にいたことがとても遠くに思えます。

東寺の境内から(たしか)北大門を出て、少し歩くと右手に観智院という小さな子院があります。案内の方が言うには、宮本武蔵が一乗寺下り松の決闘で吉岡一門を打ち倒した後、報復から逃れる為に観智院に身を隠したという説があるそうです。その後、武蔵は観智院に直筆の絵を残したと伝えられています。私はその絵に惹かれて何度となく観智院に足を運びました。詳しくは分からないのですが、本阿弥光悦との交友も関係するのでしょうか、同時代を生きた長谷川等伯の師事を受けていたという説もあるようです。その絵は描かれたものだけではなく、描いた者の「その時」を今現在も伝えています。建物の奥には、足利武士達が利用したという小さな茶室があり、茶道として確立される以前の「茶」の嗜みを残すものだと言われます。

そういえば、観智院の絵以外に武蔵は何を残しているのだろう。

観智院蔵 宮本武蔵筆 http://www.toji.or.jp/musashi.shtml(東寺 WEBサイト)