MCF写真展/ 2011.05.28に向けて
山の夜は深く、暗い。日が沈み、辺りが暗闇となるにつれ、僕の肉体もその漆黒に溶け出し、自分と自分ではないものとの境界線は薄く消えていく。そうして消滅していく自分の肉体から、解放された自由と孤独は、ひとつの同じもののように融け合う。その入り交じった自由と孤独は、この宇宙のすべての境界を越境し曖昧にし始める。
全てを曖昧にし終えた頃、微かに現れた稜線より、日没に遅れて月が昇る。月はそれまでの漆黒と不安を解放しながら存在の表面をなぞり、像に影を再び与える。暗闇に溶け、月まで飛行していた僕は瞬時に肉体に引き戻される。月光は全ての輪郭を照らし、夜の場を借りて、その輪郭に包まれた存在を絶対的に確認させようとする。僕はここで溜息をつくのだ。この見上げた月へ人類が辿り着いたという事実に。先人の膨大な構築と孤独に思いを馳せながら。
月へと到着した我々人類は、月から人類を眺め、いつしか自分が誰かということを知り得ることに到達できるだろうか。「人間とはなにか?」と問う時、外へと向けられた眼球は、既に私の外世界を観察しながら、永遠へと拡がる暗闇を眺め、頭上と足元数百キロ先の宇宙の存在を再認する。宇宙という言葉は、宇宙よりもはるかに遠い宇宙を含んでいる。そして460億光年の向こうから「宇宙とは何か?」という新たな問いを運んでくる。人間を問うことと宇宙を問うことは同じ地平にある。地球、宇宙、生命、この日常、それらがひとつひとつの肉体の内外で交差し、全ての集約としてここに存在している。その混沌と秩序を前にして言葉がない。
つくば山の麓に、謎を解く人々がいる。高エネルギー加速器研究機構(KEK)は、宇宙・物質・生命の謎を解明する研究施設である。広い敷地内に点在するひとつの研究棟に入ると、様々な道具や構造物があり、初めて目にするものばかりで興味が尽きない。狭い通路では、旋盤などの工具を用いて、科学者が自ら、宇宙の謎を解くという様々な部品を加工している。ヘルメットを被り、油と埃にまみれた姿は、先端科学者という佇まいのイメージからは程遠い。(否、この姿こそ人類のフロンティアなる風情。)研究棟の地下には、加速器と呼ばれる神殿のような巨大な装置がある。KEKではこの加速器を用い、宇宙を創り、宇宙を観察するのだという。
2009年4月、初めて施設を訪れた。撮影する対象を探していた僕は、つくば山の麓でKEKと出会い、施設内の構造物や研究者の魅力に惹かれ、当初は、垣間見える先端科学を対象に撮影することを胸に決めたように思い起こす。その後、KEKへ足を運ぶ回数が増えるにつれ、研究者の眼差しを発見し、共感するようになっていった。その眼差しは、過去と未来と現在が混在した宇宙の地平へと向けられていた。研究施設や構造物から、人類の知の構築、人類の限界とそれを乗り越えていく現在に触れ、そして、それらを大きく包む宇宙の存在に眼を向けるようになった。森に鉈を持って、道無き道を切り入るように、物理という世界の数や数式という独特な言語をもちいて、混沌に秩序を与える科学者の姿に魅了された。その姿は宇宙という最大の物に対峙した人類のとても小さな、しかし逞しい姿だった。迷い込んだKEKという深い森は、460億光年に拡がる宇宙という、−270.42℃の冷えたフィールドだった。僕はその地平に立っていたのだ。
これらの写真は、2011年4月7日開催のKEKB高度化プロジェクト「SuperKEKB」開始を祝した記念式典において、高エネルギー加速器研究機構研究本館内小林信ホール前ホワイエにて、展示予定であったものである。この度の震災により、式典は中止、または日程未定のまま延期となった。地震発生に伴い、この写真の意味合いも変わったのではないかと思う。この写真だけではなくすべての写真、すべての事柄の意味合いが変わったとしても過言ではない。(しかし、一方で変わらないものもあるだろう。それは何?)
写真という固定されたイメージは、一刻も異なった情報を投影しない。時が記憶を徐々に曖昧にする一方で、写真は頑なに同じ情報をある方向に投影し続ける。一方で、写真の「意味」は、写真を前にした眼球の内側で刻々と変化する。一見とても速いスピードで生産されると思われることの多い写真制作だが、私には特別な表現を除いて、制作はある程度の時間を要するものである。そういった制作の時間をとおして、写真の意味合いが刻々と移り変わるのは、写真の本質のひとつである。写真は、絶対的でありながら相対的である。固定されたイメージという存在は、絶対と相対という言語の境を曖昧にする。制作者には、写真の意味をコントロールすることはできないのではないかと考えることがある。誕生したものは刻々とその姿を変え、実在は曖昧に消えようとする。様々な不思議の、混沌へと身をうずめた実在の誕生した瞬間を知りたいと思う。生命はどこから来てどこに向かっているのだろうか。このエントロピーに抗いながら。
この度の東日本大震災において、亡くなられた皆様に深く哀悼の意を捧げたい。被災された皆様へ心よりお見舞いするとともに、被災地の復興をこころよりお祈りする。
2011.04.05.10:43